TAJIMA-USHI DICTIONARY
但馬牛(生体はタジマウシと読みます。お肉になるとタジマギュウと読みます。)
この地方に伝わる神話をもとに、アメノヒボコ物語※1 として伝えられています。この伝説は紀元前4~5世紀の頃、 朝鮮半島からアメノヒボコが但馬の国を訪れるまでの不思議な話です。アメノヒボコは但馬の地の牛文化発祥に大きく関わったとされる人物であり、 伝説のもととなった話は、712年に書かれた古事記にも記されています。
但馬地方は兵庫県の北部、但馬の国にあたる地域で、古来より優秀な牛が産出される土地として知られています。山または山、谷筋ごとに集落のある完全な山国で冬は積雪に覆われ水田は少なく、 ただ、昼夜の気温差が大きいことから、夜露が降りて夏でも柔らかな草が良く生える。 但馬の人たちの生活を支え、家族同様に慈しまれてきた黒牛がいる、これが但馬牛な のです。
さらに1200年前の平安時代に編纂された「続日本書記」※2 にも「耕運、輓用、食用に適す」と記されています。但馬牛がいかに柔らかく食用として優れているか、というのが良く分かる一文でもあります。
松阪牛をはじめとして 神戸牛 近江牛 宮崎牛 前沢牛 飛騨牛 佐賀牛 鹿児島牛 など日本の和牛の85%以上が但馬牛の系統です!和牛の最高峰は誰もが認める但馬牛 血統はなんたって世界一!全国の黒毛和牛を変えた名牛!!
現在市場に流通しています但馬牛は正確に言いますと『兵庫県産但馬牛』と言います。 兵庫県産但馬牛の定義は兵庫県で肥育した黒毛和種で規格がA-1以上でA4-6以下のもの A4-6以上は神戸牛です。要するに神戸牛に成れなかった牛が兵庫県産但馬牛になるのです。
私どもが販売しています但馬牛は、但馬生まれの但馬育ち!その牛本来に適した場所で育つからこそ、最高の牛として出来上がるのです。
めぐまれた環境をはじめ、良質の水、秘伝の飼料、高度な肥育技術を駆使し、 一頭一頭に細やかな愛情を注ぎ込んでつくり出した黒毛和牛の最高牛肉が はまだ但馬牛 (規格はA4-6以上からA5のみの販売)です。
はまだの但馬牛は市場には流通しておりません。同じ但馬牛でもランクが違います。お間違いなさらないようお願いします。
『 百済※3 よりヨーロッパ種と在来種をかけ合わせた改良たねの食肉牛が、日本でも輸入されるようになり、百済より子牛が奈良〔平安京)へと船積みされ、 越前の敦賀を目指し出港、そこでいつも通り対馬暖流に乗り、日本海を東進するのであるが、その年によって対馬海流の強弱に左右され、日本列島への寄港地海岸も定まらず、 たまたまその年は対馬暖流が弱かったために、敦賀より西方に位置する但馬海岸に漂着、当時はそのような例は珍しくなかったと聞く。 幸いにも但馬の人達の厚い人情に触れて、乗員達は子牛の飼育を懇願してきた。その事件を契機に、但馬地方で肉牛の飼育が始まったといわれています。』
1585年、豊臣秀吉(49歳のとき)が大阪城を築城した際、徴発された但馬牛は、その役を大いに果たしました。そこで大阪奉行は但馬牛に1日武士の身分を与え、但馬牛は「登り牛」として天下にその名を知らしめました。
但馬牛は他の和牛と同じく水田耕作や輸送に利用された役牛です。日本人 が牛肉を食べるようになったのは、まだ百年ほど前のことですから、それまでは小型 で丈夫・多産の但馬牛は、棚田など小面積の水田が多い但馬地方で家族同様大事に育 てられてきました。1310年に描かれた「国牛十図」※4 にも但馬牛は取り上げられ、皮膚 や被毛、角、蹄、体の締まりなど資質の優れた牛として評判が高かったことをうかがい知ることができます。
明治以降の西洋食文化の浸透、戦後の農作業の機械化の流れのなかで、この但馬地方 で古くから飼われていた黒牛は、肉専用の牛として改良が進められていくことなり ました。海外品種や他の系統の牛との交配が積極的に進められる風潮のなか、兵庫県 では但馬牛の純血を保った改良を続けてきました。兵庫県内の種雄牛は全て優秀な 但馬牛だけを交配に用いてきたため、兵庫県内で飼育される黒毛和種、特に美方郡産(新温泉町・香美町の2町のこと)は他に例をみな い特殊な牛=但馬牛となってきたのです。
戦後、日本に食肉文化の到来と共に、今まで農耕用の役牛だった日本の牛にも肉用牛としての肉質の向上と増体量の改良が必要になりました。 この改良は国内外の品種交配を駆使して県単位あるいは地域単位で主に行われ、特に盛んに行われたのが兵庫氷ノ山系から中国山系を頂く、 但馬(兵庫県)、奥出雲(島根県)などの地域だったようです。改良上、混沌とした時期を乗り越え、現在のような和牛の系統が形成されたようです ただし、1頭の種牛が利用できるのは十数年ぐらいのため、今でも優秀な次世代の種牛を出生するために、和牛の交配による改良の努力が日々なされているようです。
日本の和牛には一頭づつそれぞれに名前が付いています。その名前は、本牛を確認できる鼻紋とともに、血統(系統)を著す登録書に記載されています。これによって資質の 違う系統を交配して、肉質が良く、早く大きくなる和牛が生産出来るように改良するために使われています。また、肉用として肥育する上でも、その牛が血統上どのような特質を持っているかを判断できます。
あの有名な松阪牛も生まれは兵庫県の但馬地方です。その但馬地方には中土井系、熊波系など(総じて但馬系・兵庫系)の優秀な系統があります。 松阪牛に代表される但馬牛の特徴は脂身(霜降り)と赤身の肉の美味しさと言われております。
格別優れた牛の血統を蔓牛(つるうし)と言います。但馬の厳しい自然環境と風土 長年に渡り他府県との交流を避けての交配で純化された強い遺伝力の蔓牛が但馬牛として存続しています。但馬牛の蔓牛には「アツタ蔓」「フキ蔓」「ヨシ蔓「ヤギダニ蔓」「イナキバ蔓」の5系統有ります。下記の図を見ていただければお解りのように川との関係が密接に在ります。この中で最も代表的な蔓は「アツタ蔓」で別名「周助蔓」と呼ばれ前田周助(まえだしゅうすけ)の創出した「周助蔓」を祖先にする系統です。但馬牛は、先人達の弛まない努力から産み出された伝統に培われた本物です。(前田周助(1798縲1872)寛政10年但馬地方の小代 生まれ)
肉のうま味の主な成分もグルタミン酸やイノシン酸です。肉をおいしく感じるのは、味はもちろんですが、さらに香りや食感などいろいろな要素の組合せの結果といえます。肉のなめらかな食感ややわらかさ、香りには、脂肪が重要な役割を果たしているといわれています。
但馬牛は何百年もの歴史あります。他の和牛とは交配せずに但馬牛同士で交配し数々の血統を創り出したことを続けることで、但馬牛は、さらに優れた資質を磨き、さなくとも誇れる肉質を培ってきているのです。
「神戸牛」「松阪肉」「近江肉」などの、もと牛はすべて但馬牛です。また現在全国の有名ブランド牛(宮崎牛・前沢牛・佐賀牛・飛騨牛・鹿児島牛)は例外なくこの但馬の血を引いているといわれます。全国の85%以上が但馬牛の系統です。
資質の優れた但馬牛は、安全で良質な飼料と、深い愛情をもって肥育され、「霜降り肉」となります。これは、筋肉の中に脂肪が、霜降り状に「小ザシ」として散在しており、寒い朝降りていた霜が朝日によってさっと消えるように、熱を加えたときや舌の上で 「サシ」が溶けて、筋肉のもつ味と、脂肪の香りが微妙にとけあい特有の「うまみ」となるのです。「うまみ」は、口の中に広がる、肉のうま味成分(グルタミン酸、イノシン酸、アミノ酸など)を含んだ肉汁と、においとしての香気(風味)成分によって感じるとされています。とくに 「風味」については、脂肪の成分のうち、モノ不飽和脂肪酸(MUFA)が多く、飽和脂肪酸(SFA)および多価不飽和脂肪酸(PUFA)が少ないほどよいと言われています。この点においても、但馬牛は遺伝的に優れ、MUFAを多く持っており、牛肉としての味の濃さ、味のコクを賞味できるのです。
全国の優秀な和牛(黒毛和種牛)が5年に1度、一堂に会してその優劣を競う全国大会で、 ”和牛のオリンピック”とも称される大会です。 雄牛・雌牛の和牛改良の成果を競う「種牛の部」と肉質を競う「肉牛の部」があり、各道府県から選抜された数百頭の和牛が、それぞれの部で 頂点を目指します。 審査結果が各県の和牛のブランド化に大きく影響するだけに、和牛関係者にとっては、まさに威信をかけた非常に重要な大会です。 また、全国から来場される多くの参観者に、開催県の農畜産業や観光・物産・風土・文化等を幅広く情報発信するための大規模なイベントが 企画され、和牛の大会にとどまらず、まさに農林水産業の”総合的な祭典”となります。
昭和41年に第1回の「和牛全共」が開催されて以来、過去に9回開催されています。
第6回平成4年に行われた全国和牛能力共進会肉牛の部で、兵庫県から出品した但馬牛が最優秀賞(内閣総理大臣賞)を受賞しました。
日本の和牛の85%以上が但馬牛の系統です!和牛の最高峰は誰もが認める但馬牛 血統はなんたって世界一!全国の黒毛和牛を変えた名牛なんです。
第8回大会(平成14年度)は、9月末に岐阜県で開催されました。 全国各地の農家が手塩にかけて育て、38道府県の予選を勝ち抜いた和牛、469頭が出展されましたが、 但馬牛の血が混じっていない牛は一頭もいなかったのです。まさに、「全ての道はローマに通じる」という言葉に例えるならば、全国の高級和牛の場合「全ての血は但馬牛に通じる」と言えるでしょう。 次回は平成34年 鹿児島県 で開催予定です。
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開催年 | 開催県 | 開催テーマ |
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第1回 | 昭和41年 | 岡山県 | 「和牛は肉用牛たりうるか」 |
第2回 | 昭和45年 | 鹿児島県 | 「日本独特の肉用種を完成させよう」 |
第3回 | 昭和52年 | 宮崎県 | 「和牛を農家経営に定着させよう」 |
第4回 | 昭和57年 | 福島県 | 「和牛改良組合を発展させよう」 |
第5回 | 昭和62年 | 島根県 | 「着実に伸ばそう和牛の子とり規模」 |
第6回 | 平成4年 | 大分県 | 「めざそう国際競争に打ち勝つ和牛生産」 |
第7回 | 平成9年 | 岩手県 | 「育種価とファイトで伸ばす和牛生産」 |
第8回 | 平成14年 | 岐阜県 | 「若い力と育種価で早めよう和牛改良、伸ばそう生産」 |
第9回 | 平成19年 | 鳥取県 | 「和牛再発見!‐地域で築こう和牛の未来‐」 |
第10回 | 平成24年 | 長崎県 | 「和牛維新! 地域で伸ばそう生産力 築こう豊かな食文化」 |
第11回 | 平成29年 | 宮城県 | 「高めよう生産力 伝えよう和牛力 明日へつなぐ和牛生産」 |
第12回 | 平成34年 | 鹿児島県 | - |
日本が誇る和牛のブランド但馬牛は、優れた伝統と血統を持つ品種です。前項にも述べましたが、その起源は古く、平安時代に編纂された『続日本書紀』ですでに「耕運、輓用、食用に適す」と紹介され、古来より優秀な血統として認められています。その伝統を守り、他府県牛との交配を避けながら改良を重ねた牛が、但馬牛なのです。
繁殖牧場農家 | 母牛を飼育し人工的に種付けして出産させ、8ヶ月前後育てて子牛市場で子牛を売る |
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肥育牧場農家 | 繁殖農家から購入した子牛を2年ほど肥育、加工処理場へ出荷する。 |
繁殖肥育一貫経営農家 | 繁殖から肥育まで一貫して行っている。 |
私どものように繁殖・肥育を両立し、販売まで手がけている特殊に経営している牧場もあるのですが、松坂や神戸、近江では、そのほとんどが肥育農家です。 そして高級牛肉になる子牛たちの仕込先として特別なブランドとなっているのが、兵庫県.但馬地方、特に中でも美方郡産です。
肉の味を決めるのは、素牛の資質です。素牛とは、生後半年で出荷される子牛。この素牛が各地に出荷され、そこで成牛になるまで飼育され、ブランド牛になります。 高級ブランドである神戸ビーフや松阪牛の大半、そして近江牛の極上物なども素牛は但馬産ですが、素牛をそのままこの地で育んだのが、正真正銘の 『はまだ 但馬牛』 なのです。
良質の肉牛を肥育するには、育成環境も大切です。何よりはまだのモットーは、「愛情を込めて育てること」。 生まれた子牛はストレスを感じさせない清浄な牧場で、1歳近くまでのんびり放し飼いをします。 それから牛舎に入れ、 心地よく過ごせるように気を配って育てます。但馬の地は清らかな水と澄んだ空気に恵まれた、緑豊かな山あいに開けています。しかもすぐそばには、日本海の荒波が。 雨が多く年中ほどよい湿度で満たされ、冬はキンと張りつめた寒さに見舞われます。 そんな但馬地方で育った牛は、身がほどよく引き締まり、かつ脂がのっています。芸術的なまでに美しいサシが入った、 霜降りの肉に仕上がるのです。すばらしい自然環境の中で生まれ、 ゆったりと育まれる はまだの但馬牛は、資質を最大限にのばした傑作です。
兵庫県地域ブランド牛枝肉共励会 平成22年2月12日に、加古川市場で開催されました。主催は神戸肉流通推進協議会で、地域活性と但馬牛の更なる向上を目指す為の品評会です。
兵庫県の市場で流通している銘柄牛【地域ブランド牛】 は基本的には7種類ですが、これらの枝肉の格付がA4-6以上が神戸牛になり、A4-5以下が兵庫県産但馬牛となります。
『BSE』『産地偽装問題』後に改正されました松阪牛、神戸牛の定義
「松阪牛」とは全国から優秀な血統の子牛を導入し、松阪牛個体識別管理システムの対象地域で肥育された、未経産の黒毛和種の雌牛を『松阪牛』と呼んでいます。その中でも典型的な松阪牛は但馬地方(兵庫県)より、生後7ヵ月縲8ヵ月ほどの選び抜いた子牛を導入し、約3年間、農家の手で1頭1頭手塩にかけ、稲わら、大麦、ふすま、大豆粕などを中心に与えながら肥育されます。特に、牛の食欲増進のために与えるビールや焼酎でのマッサージは有名です。松阪牛は、優れた資質、行き届いた飼養管理によって日本一の肉牛として認められ、味のすばらしさは「肉の芸術品」として全国、世界から賞賛されています。
「神戸牛」とは神戸肉流通推進協議会の定義の頁には次のように記されています。
「神戸肉・神戸ビーフ」とは、「兵庫県産(但馬牛)」のうち、本県産和牛の但馬牛を素牛とし、子牛から肉牛として出荷するまでに当協議会の登録会員(生産者)が肥育し、本県内の食肉センターに出荷した、未経産牛・去勢牛であり、枝肉格付等が次の事項に該当するものとする。
肉質等級: | 脂肪交雑のBMS値NO.6以上 |
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歩留等級: | A・B等級 |
枝肉重量: | 450kg以下 (H18年4月1日 規約改定) 去勢→ 260kg以上から470kg以下とする。 雌→ 230kg以上から470kg以下とする。 |
※格付けの詳細は『牛肉の格付け』をご覧ください。
アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)は、『古事記』、『日本書紀』の日本神話に登場する神。元は新羅の王子だった。 アメノヒボコの曾孫が、菓子の神とされるタヂマモリ(多遅摩毛理、田道間守)であり、次の代の多遅摩比多詞の娘が息長帯比売命(神功皇后)の母、葛城高額比売命である。なお、アメノヒボコは新羅の王家、朴氏、昔氏、瓠公との関連の可能性があるとする説もある。 いずれにせよ、「天」が名前につき、皇室の祖先に深く関係する神(例:高天原の神)並みの表記であり、他国の王子の名としては「天」の漢字がついた名は、他に類例がない。
『古事記』では、以下のように伝える。
昔、新羅のアグヌマ(阿具奴摩、阿具沼)という沼で女が昼寝をしていると、その陰部に日の光が虹のようになって当たった。すると女はたちまち娠んで、赤い玉を産んだ。 その様子を見ていた男は乞い願ってその玉を貰い受け、肌身離さず持ち歩いていた。ある日、男が牛で食べ物を山に運んでいる途中、アメノヒボコと出会った。ヒボコは、男が牛を殺して食べるつもりだと勘違いして捕えて牢獄に入れようとした。 男が釈明をしてもヒボコは許さなかったので、男はいつも持ち歩いていた赤い玉を差し出して、ようやく許してもらえた。ヒボコがその玉を持ち帰って床に置くと、玉は美しい娘になった。ヒボコは娘を正妻とし、娘は毎日美味しい料理を出していた。 しかし、ある日奢り高ぶったヒボコが妻を罵ったので、親の国に帰ると言って小舟に乗って難波の津の比売碁曾神社(大阪市東成区 現在の主祭神は大国主の娘の下照比売命(シタテルヒメ))に逃げた。ヒボコは反省して、妻を追って日本へ来た。 この妻の名は阿加流比売神(アカルヒメ)である。しかし、難波の海峡を支配する神が遮って妻の元へ行くことができなかったので、但馬国に上陸し、そこで現地の娘・前津見と結婚したとしている。
『日本書紀』 垂仁天皇3年春3月に新羅王の子・アメノヒボコが神宝、羽太の玉、足高の玉、赤石、刀、矛、鏡、熊の神籬の7種を持参し渡来した。また、播磨国、近江国、若狭国を経て但馬国の出石に至り、そこに定住して現地の娘・麻多烏(またお)と結婚したとしている。これらの神宝は太陽神を祀る呪具であり、朝鮮からの渡来民が使っていた太陽神を祀る祭具と考えられる。「ヒボコ」という名前自体が太陽神を祀る祭儀で使われる矛を表しており、それは太陽神の依り代である。またここで登場する国は渡来系の人々の影響の強い土地である。定住した但馬国では国土開発の祖神とされ、現在でも厚く信仰されている。これらのことから、アメノヒボコは出石に住んでいた新羅系の渡来人が信仰していた神と考えられる。
東大農学部の農学生命科学図書館より
この国牛十図は鎌倉末期の延慶3年(1310年)に成った国産の牛の図説であります。筆名・河東牧童寧直麿によって書かれており、後年、江戸時代中期の考古学者・藤貞幹の蔵書(左京藤原貞幹蔵書の印)となりました。この書は国学者・塙保己一が編集した群書類従の28輯(巻)に所収されていることから、その底本になっていると考えられています。藤貞幹の蔵書ではありますが、「遊戯三味院」の印も見られることから、他者の蔵書であったか、または藤貞幹から他者に手渡った書であります。藤貞幹の序文に牛図は十図あるべし、しかし今所存しているものは9つで、1つを逸してしまった可能性もありますが、他日全本を得ようとする意志が伺えます。
当時の和牛の体系・特徴・性質などが記述されており、中でも但馬牛の項は「骨ほそく 宍かたく 皮うすく 腰背まろし 角つめことにかたく はなの孔ひろし 逸物おぼし」と書かれています。
十図の説明は以下のとおりです。
(1)筑紫牛は姿良く、本来は壱岐島の産である。元寇の際に元軍のいけにえ(食用)とされたために、一時少なくなったが近年また多くなってきた。
(2)御厨牛は肥前国御厨の産で逞しい牛である。もともと貢牛であった所からの呼称で、中古の名牛の産地であった。西園寺公経から朝絵の印を許可されたという。
(3)淡路牛は小柄ではあるが力が強く、逸物も少なくない。近年、西園寺公経から御厨牛と同等の評価を得た。
(4)但馬牛は腰や背ともども丸々として頑健であり、駿牛が多い。骨ほそく 宍かたく 皮うすく 腰背まろし 角つめことにかたく はなの孔ひろし 逸物おぼし
(5)丹波牛は但馬牛とよく似ており、近年逸物が多い。
(6)大和牛は大柄であるという特徴がある。ところが、角蹄が弱いという欠点があったが近年は良くなった。
(7)河内牛はまあまあという所で、駿牛も存在する。
(8)遠江牛は蓮華王院領の相良牧の産である。その見かけは筑紫牛に見まがう駿牛であるが、ややあばれものである。故今出川入道太政大臣家がこの地に筑紫牛の血統を移入させたものという。
(9)越前牛も大柄で逸物が多い。
(10)越後牛は力が強く、まれに逸物がある。この牛の図はない。
現在の但馬牛の特徴は、古来より培われた優れた肉質と強力な遺伝力によるものと言えます。